〈場所:群馬県渋川市伊香保町 散歩日:2023年2月16日-17日〉
北群馬郡伊香保町は、2006年(平成18年)に旧渋川市など6つの市町村が合併し、新たな渋川市になった。伊香保町といえば何といっても『伊香保温泉』。名湯で名所・名物も多い。さらに首都圏から比較的近いこともあって人気の温泉観光地である。
伊香保温泉の源泉周辺
全国にもその名の知れた温泉地の源泉が見られるということで、温泉街の最上部に位置する源泉地に行ってみる。
最寄りの河鹿橋駐車場に車をとめ、赤い欄干「河鹿橋」を渡る。周辺はモミジがあり、紅葉時の観光スポットになっているようだ。
その先に「伊香保温泉飲泉所」がある。ここで伊香保温泉の温泉水を飲むことができる。せっかくなので一口飲んでみる。けっして美味しいものではなかったが、源泉を楽しめる施設ということでは貴重であろう。
緩い坂道を進むと「伊香保露天風呂」があり、その近くに「若き日の ベルツ博士」の胸像が建てられていた。石碑の説明によると ~ベルツ博士は日本温泉医学の父であり、明治初期(1870年代)数多い日本の温泉のなかで博士に第一番に系統的指導を受けたのが伊香保温泉であり、この時の指導内容が日本鉱泉論として発表され日本温泉医学の原典になっている~ 伊香保温泉にとって大恩人ということだ。
その隣に「源泉噴出口」がある。噴出する様子をドーム型のガラス越しに眺められる。屋根も掛けられ整備されている。掲示の説明によると、昭和34年完成、温度45.7度、毎分湧出量は約1,443リットル、泉質は硫酸塩泉で神経痛・関節痛・冷え症等々に適応。
その奥には「ラドン発見の碑」が建てられている。碑文によると~明治42年夏、日本で初めてラドン(ラジウムエマナチオン)が伊香保で発見された~という。
ベルツ博士の指導といい、伊香保には温泉初めて物語がある。
石段街周辺
伊香保温泉といえば“石段”がシンボルになっている。最上段の伊香保神社まで365段の長い石段があり、その両脇に温泉旅館や土産物屋、遊技場、飲食店が軒を連ねる。
石段下広場から上り口を見る。下の方は幅広く、左右の石段の間にはお湯が流れている。
石段を登ってしばらくして振り向くと、眺めは良く遠くには雪山が望めた、レトロな街頭は灯れば風情がありそう。脇に木製の門があったので入ってみる。
伊香保関所(伊香保口留番所)は、寛永8年(1631年)に設置された関所を復元したもの。間口5間、奥行3間の約15坪の萱葺屋根の建物で、周囲に木柵、東西に門扉があった。
この湯の花まんじゅうの看板がある風景は、伊香保石段街のイメージ画として、他のWebサイトでもよく見られるところだ。所謂「温泉まんじゅう」は、伊香保温泉の「湯の花まんじゅう」が発祥とされている。
左右の石段の間にある碑文によると、石段温泉街は1576年(天正4年)に形成されたとあり、石段の中央に湯樋を伏せ、左右の屋敷に引湯して浴場を作り、温泉宿を経営していたと。当時としては異色の温泉街は我が国第一号の温泉都市計画であり、先駆的役割を果たしていた。と記されている。
石段上部の方で、宿の壁面に明治44年の「上州伊香保温泉場全景図」が掲示されていた。伊香保の町は石垣で出来ていて、石段の両側に二層三層の旅館が不規則に並んでいるとの紹介文が添えられていた。今よりも石段の幅が広く見える。
脇道を入ると、“手造り”“元祖”を掲げる湯の花まんじゅうの店があった。しかし、店内は暗く「本日売れ切れ」との貼り紙。まだ昼前なんですけど・・・。
休憩するカフェなどには事欠かないだろう。我々は、レトロ感のある落ち着いた店(楽水楽山)で、紅茶のケーキセットをいただく。室内壁面の照明、軒下の行燈、庭、遠望などと併せ満足感高かった。
伊香保御用邸跡
伊香保神社と伊香保ロープウェイの間で、崖のような斜面に「伊香保御用邸跡」の石碑を見つける。ここに御用邸があった?歩道は雪が残るけど大丈夫と思い進んでみる。
御用邸は1893年(明治26年)に建設され、1945年(昭和20年)に廃止された。建物は1952年(昭和27年)7月の火災によって焼失。往時の面影は、玄関で使用された沓脱石に今も残されている。(案内板より)なお、現在、跡地には「群馬大学伊香保研修所」が建てられている。
プレバトのスプレーアート
石段から少し入った広場に、大きな絵が2つ。これはTV番組で観た。プレバトのスプレーアートで、千原ジュニアと佐藤詩織の作品。その他、ロープウェイ山麓駅前にもう中学生と小野利昌の作品、文学の小径にレーザーラモンHGと光宗薫の作品がある。
伊香保神社
狭くなった石段を仰ぎ見る。石段の途中に鳥居、狛犬がある。その左には手水舎。右側の石柱には「縣社 伊香保神社」とあるので、旧社格で県社ということだろう。
365段目の石段をのぼり着き、二の鳥居をくぐると、右側に伊香保神社の社殿がある。境内には雪が残り、厳かな感じが増す。拝殿の鈴&縄は5本もある。拝殿の大きさの割に数が多いようにも感じるが、それだけ人気があるのだろう。
拝殿の後ろ側にある本殿の様子も記録。右側に「車両進入禁止」を示す案内がある。石段街の道は狭いけど、ここを同じように通る輩がいたってことかな。
市のWebサイトによると、~伊香保神社は、もともと水沢山を信仰の対象としたもので、別の場所にあった。やがて上野国三宮となり、いつしか伊香保の源泉近くへ移り、温泉の守護神となったという。 現在の祭神は、温泉・医療・商売繁盛の神である大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)であり、湯元近くに移ってから後の祭神と思われる。~とのこと。
伊香保温泉へ行く際には、その源泉ならびに伊香保神社に行くと、ありがたみが増す・・・と思う。
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