〈場所:新潟県南魚沼市浦佐 散歩日:2022年5月7日〉
毘沙門堂の歴史は古く、大同二年(807年)に坂上田村麻呂将軍が東国平定の際に建立したとされ、その別当の普光寺(ふこうじ)は延宝八年(1680年)に建立され、毘沙門堂とは渡り廊下でつながっている。
3月に催される「裸押し合い大祭」は、日本三大奇祭の1つで約1200年の歴史を持ち、国の重要無形民俗文化財に指定されている。また、重さ約30kgの大ローソクを使用する事から「大ローソク祭り」とも言われている。
初めて訪れたが、伽藍の豪華さと荘厳な雰囲気に圧倒され歴史を感じるお寺だった。
参道~山門(仁王門)
JR浦佐駅からは徒歩5分。関越道の大和スマートI.Cより車で5分。県道(毘沙門通り)から高揚した気分で参道に入ると・・・、山門しか見えない。
山門は石段を上ったところにある。現地の案内図を見ると、伽藍はその先にあるので下からは見えないわけだ。後背の山を登ると浦佐城跡に至る。
山門(仁王門)は天保二年(1831年)建立。銅板葺の入母屋造り、八脚楼門で日光東照宮の陽明門を模したものとされる。
総けやき造りで釘は無使用。組物が重なり豪華な彫刻で飾られている。山号額には吉祥山。山門は市の指定文化財となっている。
楼門下の天井には、入口側と内側にそれぞれ龍が描かれている(双龍図板絵「八方ニラミの龍」)。
毘沙門堂
山門から回廊を進み、不動明王に至る手前で右を向くと毘沙門堂。毘沙門天のはずだが扁額には「多聞天王」とある。
日本では独尊で祀られる場合には「毘沙門天」と呼ばれ、四天王として祀られる場合には「多聞天」と呼ばれるという。四天王はそれぞれ、東方を持国天、南方を増長天、西方を広目天、北方を多聞天(毘沙門天)が守護しており、多聞天(毘沙門天)は四天王のリーダーを担う。・・・当毘沙門堂には四天王が祀られている。
毘沙門堂は、室町前期の建築で国の特別保護建造物に指定されていたが、昭和6年に火災に遭い再建された。
再建時の設計者が伊東忠太という方で、調べてみると同県内の弥彦神社や東京の築地本願寺、湯島聖堂など様々な寺社の設計をされていた。
お参りする時に鳴らす鰐口(わにぐち)。大きな提灯が2つ。
普光寺 本堂・別行殿
上杉謙信・景勝、直江兼続ゆかりのお寺とされる普光寺。本堂は赤い大屋根が目を引くが、もともとは茅葺屋根だった。時代の流れでメンテナンスが難しくなったため、昭和44年に亜丹(トタン)板で覆い、雪が自然落下するようにしたという。
別行殿 (宝物殿)には、大日如来像や四天王像が安置されている。本堂と毘沙門堂の間にあり渡り廊下でつながっている。
回廊、不動明王・うがい鉢
山門を潜ると、回廊が導いてくれる。屋根のある回廊のおかげで降雪・積雪でも参拝しやすいだろう。大ローソクは祭りにちなんだものか。
外側から見た回廊の様子。途中左側には聖徳太子のお堂があった。
回廊をまっすぐ進むと、石像仏としては日本最大と云われている「不動明王」と大石をくりぬいた「うがい鉢」がある。祭りではうがい鉢に直接入って身を清めるようだ。
境内の様子
毘沙門堂の東側には宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。
左側から鐘楼、山門~回廊~毘沙門堂。境内にはケヤキの古木・巨樹が屹立している。これほどの巨樹だが直接触れることができる。(以下2枚はスマホによる画で色合いが異なる)
反対側の様子。右側から普光寺本堂~別行殿 (宝物殿)~毘沙門堂とつながっている。
境内の外、山門に向かって左側から境内を見ると、山門や毘沙門堂が大きなケヤキに覆われているようだ。これらのケヤキは「普光寺ケヤキ群」として市の天然記念物に指定されている。
時間に余裕がなかったので、見逃しているところが多々ありそう。また訪れたいと思う。その時は、浦佐城跡まで登ってみよう・・・かな。
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