〈場所:栃木県那須塩原市 散歩日:2022年11月26日-27日〉
那須塩原市は、栃木県の北部に位置し、東北新幹線や東北自動車の駅・ICがあり交通至便。塩原温泉郷は、箒川の渓谷沿いに連なる11地区の温泉地の総称で、1200年以上の歴史がある温泉地。見所も多く、長大な足湯や天皇の間、古刹、史跡などを見学してきた。
湯っ歩の里(ゆっぽのさと)
温泉街中心部の撤退した旅館の跡地に建てられた、全長60mの“日本の最大級の足湯”という。2006年(平成18年)に開業した比較的新しい施設だ。
駐車場からは、印象的な木組みの建物が迎える。足湯は箒川に向かって一段低い位置にあるので見えないが、この建物が施設の入口になっている。
正面向かって左側が入口で、右側が出口。フロアーは、エントランスホールと履物入れ。内部の階段を降りると、受付(200円/人)やロッカールームがある。
受付の先は、楕円形の鏡池を囲んで左右に各30m、全長60mの足湯の回廊が広がる。
足湯は、底に足つぼを刺激する石を配してあり、手すりもあるので歩行浴しながら健康チェックもできる。日当たりの良い所に座って温浴&日光浴!と考えたが、お湯の湧き出る位置が近くて、熱かったため移動することにした。
足湯回廊も木が多用され美しい建物だ。回廊の内側・外側は全てサッシで外部空間との一体感がある。木造だけど、筋交いを設けなくてもよい構造になっているようだ。(↓右側のお客様が急に足を上げてしまい・・・写り込んだ)
なお、足湯回廊に囲まれた屋外部分を「鏡池」といい、お湯を張って水鏡に映った山々や空を楽しめるようだが、この時は張られてなかった。
ステキな建築デザインは、公式Webサイトを参照。 https://yupponosato.com/
塩原温泉郷へ行く方は、宿泊して温泉に入る方も多いでしょうから、わざわざ足湯に入らなくとも・・・・と思われる方もいるかもしれない。でも“日本最大級”ですし、足湯の効能はある。それに、建物の内外は一見の価値がある施設だと思う。
天皇の間記念公園
塩原にはかつて皇室の別荘として「塩原御用邸」がおかれていた(明治37年~)。
天皇の間記念公園は、塩原御用邸の「天皇の間(御座所)」を、1981年(昭和56年)に現在の場所に原型のまま移築し保存・公開している。
明治、大正、昭和の三代にわたり、大正天皇や昭和天皇をはじめ高松宮殿下、三笠宮殿下など多くの皇族の方々が避暑地として訪れ、利用された。
天皇の間(御座所)は、木造平屋建て、面積は約250平方メートル。東側には林があり、その先は箒川。
公園入口の様子。入って左側に受付。入園料200円/人。
天皇の間は、栃木県有形文化財の指定を受けている。
園内の手入れの行き届いた日本庭園は、植物の名札付きで親切。
元々が部屋(御座所)なので玄関のような造りは無く、後付けの階段で板縁に上がるようになっている(画の左側)。長手の縁側は南向き。
平面配置は和室の田の字形で、周囲を入側(いりがわ:座敷と縁側の間の通路)で囲み、その外側3方向(東・西・南)に板縁(縁側)を巡らせている。
内部は長畳敷き、天井は高く、照明器具は洋風のモノ。
こちらは、手前が執務された「御座所」で、奥は「御寝所」になる。往時を偲ばせる和洋折衷の調度品は優雅で洗練された印象を受ける。御寝所の四方の柱には、蚊帳を吊るための金具が付けられていた。
旧塩原御用邸の全体模型が置かれていた。手前の屋根付きの棟が移築された「天皇の間」で、左側に車寄せや玄関~謁見の間~娯楽室といった室名あり。
入側から板縁越しの庭チラ見。建具が美しい。雨戸を全開しないのは日焼け防止かな。
当公園のことは、事前に観光スポットを調べた時に確認したが、那須や葉山は聞いたことがあるけど、天皇や皇族の別荘である御用邸が塩原にあったことを知らなかった。
ということは他にもあるのだろう、と思いWebで検索してみると、横浜・神戸・熱海・伊香保・沼津・日光・鎌倉・静岡・小田原などにもあったようだ。閉鎖された後でも他用途で一部残されているのもあるようで、機会があれば訪れたいものだ。
妙雲寺(みょううんじ)
市のWebサイトや他のサイトも参考にして自分なりに縁起をまとめると・・・
妙雲寺創立は、平清盛の嫡男で平重盛の妹と云われる妙雲禅尼が、平貞能(たいらのさだよし)と共に、1184年(寿永3年)に当地で草庵を結び、重盛が帰依したという釈迦如来を安置したことに起因する。その後、1312年(正和元年)に臨済宗の寺院として、甘露山妙雲寺と称し伽藍を建立した。・・・ということのようだ。
街道沿いに大門があるものの参道の間口は狭く、大きな看板の類がないので、知らないと車では通り過ぎてしまう。駐車場も分かり難かった。(私だけではないと思う)
並木に挟まれた参道を進む。石段を上ると山門で、くぐると正面に本堂。
本堂は1740年(元文5年)に再建されたもの。市の有形文化財に指定されている。また、本堂内陣の宮殿というのも同文化財に指定されている。
寄棟造りの大屋根が美しい。(正面向かって右側から)
本堂の正面向かって左側には小川が流れていて庭園のよう。小川左側のお堂は「塩渓文庫(旧閻魔堂)」、隣に蔵、その先に「薬師堂」がある。
塩渓文庫と薬師堂も市指定有形文化財。ともに1731年(享保16年)建立といわれており、妙雲寺では最も古い建造物だという。
小川に沿って進むと水の落ちる音が大きくなり、先には常楽滝(じょうらくのたき)の名の付いた滝が!落差約5mの段瀑。境内にこれほどの滝があるなんて、塩原らしい・・・。
滝の手前左側の林の中、立入禁止になっているところに石段があり、上段の大杉の根元には妙雲禅尼の墓という九層石塔がたっていた。
石段の右の石碑は、夏目漱石の誌碑。境内には、他にも芭蕉や尾崎紅葉、斎藤茂吉などの歌碑・句碑などが点在している。
なお、境内には3000株以上の色とりどりのボタンが咲く牡丹園があり、例年5月には「塩原妙雲寺ぼたんまつり」が行われ、植木市や抹茶席などが催されるという。
史跡 塩原軌道「塩原口」駅舎跡
塩原渓谷歩道の起点となる「回顧の吊橋」の駐車場近くに史跡案内板があった。この説明によると、昭和の初めまで電車が通っていたというので驚いた。
塩原口駅舎は塩原温泉の表玄関として、塩原ガマ石園地にあった。当時、駅舎周辺には土産物屋や人力車の乗り継ぎ所があり、運転手の宿舎もあって大変賑わった。
塩原軌道は、蒸気機関車により1912年(明治45年)に西那須野~関谷間が開通し、後に新塩原駅(現在の入勝橋付近)まで延伸された。
1921年(大正10年)に西那須野~新塩原間が電化され、翌年の1922年(大正11年)に路線を塩原口まで延伸した。
電化後は運行本数を増やし、多い時には一日八往復を数えたが、大不況や乗合自動車の普及も影響し、1932年(昭和7年)1月に運転を休止し、1935年(昭和10年)12月に軌道廃止並びに会社解散となった。
当地周辺は山間で集落はおろか人家も無い。駅舎跡は現在、駐車場として利用されているので、往時の状況を想像するのは難しい。ただ、ここから塩原温泉までは7kmほどあるので(昔の道路ではもっと距離があっただろう)、電車から自動車に代わってしまうのも時代の流れとはいえ、利便性からも仕方のないことだったのであろう。
とはいえ、私が育った田舎は電車が通らず駅もないので、そんな昔に電車を(近くまででも)通すべき場所と判断された塩原温泉郷というところに、改めて「スゴイな~。栄えていたんだな~」と感心する。
なお、ここから国道400号で塩原温泉郷に向かうと直ぐに、長くて曲がるトンネルに入るが、トンネルの名前は「ガマ石トンネル」というので、ガマ石という地名は地元にとって愛着のある名称なのだろう。
尾崎紅葉の石碑
小説家:尾崎紅葉、文学に疎いが名前だけは知っている。「金色夜叉」が代表作。
尾崎紅葉は1899年(明治32年)6月に塩原を訪ね、後に「塩原紀行」と題して発表している。また、「続々金色夜叉」の始めの部分で、言葉をつくして塩原の風景を賞賛しているそうだ。この碑は、塩原の名を全国に広めた紅葉の功績を記念して、塩原温泉の入口であるこの地に建立されたものだという。
現代と違って、当時「名を全国に広める」って、新聞や雑誌くらいしか思い当たらないけど、大変なことではないかと想像する。仮に知りえたとしても、地方の山間の温泉地なので、簡単に「じゃあ、行こう!」とはならないだろうし。
尾崎紅葉が訪れた時にしても、まだ塩原軌道が開通する前だ。西那須野駅からは馬車なのか、徒歩なのか。徒歩なら5時間以上はかかりそう。
検索していると、塩原温泉は尾崎紅葉だけでなく、夏目漱石や谷崎潤一郎など当代一流の多くの文人が訪れたということが分かった。御用邸があったことも、今回の旅で知ることとなった。・・・・・私の認識以上に塩原温泉は有名だったのかもしれない。
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