〈場所:新潟県南魚沼郡湯沢町 散歩日:2022年8月12日〉
新潟県の中越地域に実家のある私にとって、湯沢町(新幹線なら越後湯沢駅)周辺は帰省の度に立ち寄れるところなので、有名(?)な観光スポットには大概訪れたと思っている。
そこで、今年の夏の帰省では、改めて湯沢町の観光スポットを調べたところ、未だ訪れたことのないスポットを発見した。南魚沼郡湯沢町土樽の『瑞祥庵』というお寺と『毛渡沢橋梁』という鉄道橋である。いずれも関越道湯沢ICより南側になるので、通常は通らない道沿い。なお、JRなら上越線の越後中里駅や土樽駅が近い。
方丈山 瑞祥庵(ずいしょうあん)
湯沢町の市街地からは、魚野川沿いを上流に進み、湯沢フィッシングパークを過ぎてから左に折れて関越道をくぐると間もなく瑞祥庵に着いた。越後湯沢駅から車で10分ほどの距離。道路から少し入ったところに所在し、緑と静けさに囲まれた曹洞宗のお寺。
楼門・本堂
楼門の仁王像が、幕末から明治初年に越後で才腕を振るった石川雲蝶の作ということで有名のようだ。手前が楼門、奥の方に本堂。
楼門は、2階建ての門で、1階部分(下層)には屋根がなく、2階部分には高欄が配置されている物が一般的とのこと。この1階の両脇、ガラス窓の中に仁王像が安置されていた。
楼門をくぐると、正面に立派な本堂。参道から石段を上り入口まで真っ直ぐ。
振り返って、楼門の裏側。ここの参道は両側の樹木と苔をまとい良い雰囲気だった。
本堂は入口が閉じられていたので、内部は見ていない。本堂の正面左側に水量豊富な池があったのだが、残念ながら撮り忘れた・・・。
石川雲蝶の仁王像
現地の案内板によると、仁王尊二体は、像高:180センチほどで、江戸時代の安政(1854年)以後の作と推定されている。町指定文化財。
彩色は昭和4(1929)年の修理の際に施されたものでオリジナルではない。石川雲蝶が本来どのような色使いをしていたのか、見てみたいものだ。
ガラス窓が反射するので、ガラス窓にレンズをピタッと付けて撮る。右側が阿形で、左側が吽形(口を結んでいる)。踏みつけられている邪鬼の表情が何とも・・・。
※石川雲蝶は、文化11(1814)年、江戸雑司ヶ谷(現:東京都豊島区)に生まれ、30代前半に越後入りし、多くの作品を残した。「日本のミケランジェロ」とも称され、ダイナミックな世界観は150年を経てなお人々を魅了している。
代表作は、“越後日光”と言われる西福寺開山堂(魚沼市)の天井を飾る「道元禅師猛虎調伏之図」や絵画。永林寺(魚沼市)の幾つかの欄間と天井図など。
※参考:魚沼市観光オフィシャルサイト「日本のミケランジェロ 石川雲蝶を探求する」
https://www.iine-uonuma.jp/osusume/4009/
観音堂
楼門の手前(道路側)には、横向きにお堂が建っていた。何かな?と中をうかがうと、奥の方にある扁額には「十一面観世音菩薩」とあったので観音堂のようだ。
入口側の板の間には、昔の生活用具や農業用具が幾つも置かれていた。何故、観音堂内に?一時の預かりモノなのだろうか。見やすく陳列したらミニ民俗資料館になりそう。
鉄道橋 毛渡沢橋梁(けどさわきょうりょう)
「瑞祥庵」から車で7分ほど南に行った所にある。ナビを頼りに行くと、発電所の敷地前で行き止まりになった。道路脇のスペースに車をとめ、真上から対岸までつづくレトロ感満載の橋梁を眺める。この石積みの美しい鉄道橋が現役なのだ。
沢を上流側に移動する。隣にはコンクリート製の橋梁が曲がりながら並行している。新旧だが“新”もけっこう古そうだ。
どちらもJR上越線の鉄道橋で、現時点で石積みの方が上り専用、コンクリの方が下り専用の橋梁になっている・・・と後で知った。
すると、なっなんと!下り線に電車が走ってきた。後で時刻表を調べると、一日で6本しか通らないようだ。なんという偶然。
毛渡沢橋梁(上り線)は、1931(昭和6)年完成。石積の円柱橋脚で、橋長217.4m。緩い曲線を描く構造が美しい。一方の下り線(コンクリ製)は、複線化に伴い1971(昭和46)年に完成。2橋梁の異なる建設資材の対比且つ構造美を目の当たりにする。
草叢を分け入り、少し川に近づく。それぞれの橋脚が見やすくなった。
橋脚の基礎の横に人物を入れてみた。より太さが実感できる。(若干広角で撮っている)
ところで、同僚に鉄っちゃんがいて、私が新潟県出身ということから、ここの近くのループ線のことを聞いたことがあるので、「毛渡沢橋梁」というところに行ってきたよ、と画像を付けてメールで送ったところ、以下の返信がきた。
>ここは撮り鉄の聖地で、撮り鉄日本三大橋梁の1つです。へ~ほ~ではなく、むむむ!わお~!の場所です。
しかも通過中の電車も写っているし、最高の構図ではないですか。
越後中里から上りの電車に乗り、土樽ループを過ぎて土樽駅手前で渡る有名な橋梁。
上り線は左に分岐して清水トンネル、下り線は新清水トンネルに繋がります。
撮り鉄日本三大橋梁の一つとは知らなかったし、それぞれ異なるトンネルに繋がることも忘れていた(たぶん、当時はニュースになったことだろう)。鉄っちゃんてスゴイな~と感心。そして、そのような所に行けたことに満足感がより増した。
南側(群馬側)の橋のたもと。この先は、すぐに土樽駅に至る。
毛渡沢橋梁は水上駅(群馬県)~越後湯沢駅(新潟県)間の延伸開業に伴って架橋された橋で、谷川連峰を初めて貫いた清水トンネルも同年(昭和6年)の開業。
私の年代では、上越線(その後、上越新幹線)で新潟県から関東・首都圏に行くのが当たり前だが、これ以前は長野・直江津を経由する信越線ルート、もしくは福島県に出る磐越西線ルートになるので、3~4時間の時間短縮が図られたそうだ。当時としては大変重要な大事業だったことだろう。
ちなみに、毛渡沢橋梁や清水トンネルは、松川ループ線(昭和6年)、湯檜曽ループ線(昭和6年)、湯桧曽橋梁(昭和6年)、新清水トンネル(昭和42年)、土合駅構内土合斜坑(昭和42年)とともに、『JR上越線清水トンネル関連施設群』として土木遺産にもなっている。
※参照:土木学会関東支部 関東の土木遺産:JR上越線清水トンネル関連施設群
なお、川の対岸側からも毛渡沢橋梁を見られる場所があるようだ。ナビ頼りだったので気付かなかったけど、また機会があれば、対岸からの風景も見てみようと思う。
【但し書き】
今回訪れた2か所について、私の個人的な備忘録日記(*)でも8月にそれぞれとりあげている。ほぼ内容は重複するが、本日記用に調整し2か所を併せてまとめている。
*備忘録日記:「シャツのほころび涙のかけら」https://blog.goo.ne.jp/ino1127
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