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行田市:さきたま古墳公園 ~古墳群と博物館等 / 周辺観光

〈場所:埼玉県行田市埼玉 散歩日:2022年7月2日〉
さきたま古墳公園へは、7年前に立ち寄ったことがある。その時は、園内を少し歩いた程度だが、墳丘に登れることを知り驚いた。今回、近くの古代蓮の開花のニュースがあったので、さきたま古墳公園と併せて見に行くことにした。暑いけど、墳丘登山(?)に挑み、博物館などで国宝の出土品や横穴式石室を見学をしたいと考えた。
なお、「埼玉古墳群」は、2020(令和2)年に国の史跡から特別史跡に昇格指定された。東日本の古墳群では初となる。また、県と市では世界遺産への登録を推進している。

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さきたま古墳公園とは

「埼玉(さきたま)古墳群」は、5世紀後半から7世紀中頃にかけて築かれた、前方後円墳、円墳、方墳など9基の大型古墳や小円墳群で構成される古墳群。最も大きな古墳は「二子山古墳」で前方後円墳・墳丘長約132m。
また、公園内には「さきたま史跡の博物館」「将軍山古墳展示館」、移築民家などの施設や、所在地の行田市埼玉(さきたま)という地名から、埼玉県名発祥の碑がある。

※さきたま史跡の博物館内に掲示されていた公園航空写真。(画の上方が北側)

今回の散歩順路は、将軍山古墳展示館~登れる稲荷山古墳~登れる丸墓山古墳~さきたま史跡の博物館へ。

将軍山古墳展示館

将軍山古墳の全景は、稲荷山古墳の頂上から撮ったもの。

将軍山古墳(前方後円墳・墳丘長90m)は、1894(明治27)年に発掘され、横穴式石室からは馬具や副葬品が多数出土したが、その後に墳丘はかなり崩れてしまった。
そこで、遺構や遺物を保存活用するため、墳丘や堀の復原とともに展示館を設置(1997年)したという。

展示館内部の2階では、透明な間仕切り越しに石室の様子が間近で見られ、配置された遺物(復原)からは当時の姿を知ることができる。

1階には当時の騎馬武者の姿が、出土された武具や馬具を元に復原されていた。

室内の壁に積まれた石は「房州石」で千葉県富津市の産出。東京湾から川をさかのぼって運ばれたと考えられている。6世紀後半のこと。建造者は相当な権力があったようだ。

稲荷山古墳

〔5世紀後半・前方後円墳・墳丘長120m〕
埼玉古墳群のなかでは最も古い古墳で、前方から後円まで墳丘の中心を登って縦断することができる。全景の画は丸墓山古墳の頂上から撮ったもの。

古墳までの遊歩道と階段。実際のサイズ・見た目以上に壮大な感じを受けた。

前方部頂上から、後円部頂上を見る。緩やかに下って、階段を上る。

1968(昭和43)年の発掘調査で、後円部の頂上(地下)に埋葬施設が発見された。舟形に掘った竪穴に河原石を貼り付けて並べ棺を置いたもので「礫槨(れきかく)」という。頂上には礫槨の実物大模造画がある(以前は、模型が置いてあったようだ)。

丸墓山古墳

〔6世紀初め・円墳・直径105m〕
日本最大級の円墳として知られ、埼玉古墳群で最も高い17.2m。

円墳の南北に階段があり、稲荷山古墳の後円部に近い北側から登る。北側の階段は真っ直ぐではなく、何故か歪んでいる。

頂上部は平らで直径約20m位ありそう。高木はソメイヨシで桜のスポットでもある。

市街地の北西側を眺めると、カメラのズームで忍城の御三階櫓を確認することができた。左の画では中央だが目視では???(コンデジ35mm換算で70mmと800mmの望遠)

南側(駐車場側)階段から降りる。降りた先の並木道は「石田堤」で、画の中央上部に駐車場、その先に博物館がある。この後、博物館に向かう。

石田堤は、1590年(天正18)年、忍城水攻めの際に石田三成によって築かれた。その際、城がよく見えるこの古墳の上に陣を張ったという云われている。

埼玉県立 さきたま史跡の博物館

国指定史跡「埼玉古墳群」及び国宝の「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」をはじめとする貴重な文化財を将来にわたって確実に保存、管理し、その活用を図る施設。
1969(昭和44)年に「さきたま資料館」がオープン。その後、埼玉県の県立博物館再編計画に伴い、2006(平成18)年に「さきたま史跡の博物館」になった。展示施設は本館と前述の将軍山古墳展示館。観覧料200円(訪問時)で両施設利用できる。

国宝展示室には、稲荷山古墳の埋葬施設から出土し、一括で国宝に指定されている金錯銘鉄剣や副葬品をはじめ、将軍山古墳から出土した馬具などが展示されている。

博物館の象徴で超一級資料は、金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)。長さ約73.5センチ。鉄の剣に彫刻した溝(文字)に金を埋め込んでいる。文字は115文字。保管と展示を可能にするため、鉄の酸化を防ぐ特別なケースの中に飾られている。

なお、展示室内の写真撮影は可能で、フラッシュ撮影や接写およびケース真上からの撮影は禁止されている。
館内では「勾玉作り体験」も実施している。鉄剣と共に出土し、国宝に認定されているヒスイの勾玉と同じサイズの勾玉を作れる。時間の関係でパスしたが、またの機会があれば体験したいと思う。。

埼玉県名発祥の碑/旧遠藤家住宅

さきたま史跡の博物館前の道路を挟んだ反対側に、県名発祥の碑と旧遠藤家住宅がある。

埼玉県名発祥の碑

「さきたま古墳公園」の所在地は行田市埼玉(さきたま)で、古くは埼玉郡埼玉村。ここが埼玉県名の発祥の地と云われている。

碑文によると、1871(明治4)年11月14日、現在の県域に「埼玉県」と「入間県」を設置するとの太政官布告が出された。これが埼玉県の誕生である。以後、幾度かの変遷を経て、1876(明治9)年8月に現在の埼玉県の区域が定まった。「埼玉」が県の名称とされたのは、当初の県の管轄区域の中で、最も広いのが「埼玉郡」であったことによる。(中略)
ここ行田市埼玉(さきたま)の地は、巨大古墳群の所在地であり、また「前玉神社」の鎮座する場所でもある。おそらく埼玉郡の中心地であったと考えられるので、ここに碑を建て、県名発祥の記念とする。
ちなみに、1971(昭和46)年に埼玉県設置100年目を記念して、11月14日を「県民の日」と定めた。

旧遠藤家住宅

江戸時代末期に建てられた稲作農家で、埼玉県幸手市から移築された。面積は222.4m2(67.4坪)あり、屋根には煙出しの高窓がある。

広い土間は、屋内での作業の多さやし易さの所以か。ここまで広くないが、私が幼少の頃、古い農家ではこのような土間があったことを思い出す。他には六間の部屋に、右手には厩(うまや)がある。

周辺:古代蓮の里,三重塔,辯天門樋

さきたま古墳公園から、いずれも車で6~8分で行けるところにある。

古代蓮の里

約1,400年から3,000年前のハスとされる行田蓮(古代蓮)をはじめとする42種類、約12万株の蓮が植えられている。蓮の開花時期は6月中旬から8月上旬まで、花の見頃は午前中。

古代蓮会館は通年営業しており、行田の自然や古代蓮の生育、蓮に関する文化など、模型やジオラマや映像によってわかりやすく表現している。
高さ50mの展望タワーからは、時季になると「田んぼアート」が見下ろせる。この画は2021年7月24日で、「田んぼに蘇るジャポニズム~浮世絵と歌舞伎~」というタイトル。

参照 別日記:今年も「古代蓮の里」へ

成就院 三重塔

成就院(じょうじゅいん)、山号:五智山は、天正年間(安土桃山時代)に創建したと伝えられている。山門をくぐると正面に本堂、左側の奥の方に重みのある朱塗りの三重塔がある。三重塔は、享保14年(1729年)に建立されたもので、総高11.18m、間口奥行2.24m。埼玉県内にある江戸時代の三重塔3基のうちの一つで貴重なもの。

辯天門樋(べんてんもんぴ)

元々は江戸時代に、沼の水を旧忍川(おしかわ)に排水するために設けられた門樋を改築したもので、明治38年(1905年)に竣工したイギリス積みの煉瓦造。この門樋の特徴は、川表側の壁が左側は直線、右側は曲線と土木構造物としては珍しい左右非対称であること。煉瓦は、深谷市の日本煉瓦製造で約24,000個使用。

参照 別日記:成就院三重塔、辯天門樋

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埼玉県行田市
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風彩散歩 日記

コメント

  1. ディック より:

    古墳が数多く作られた時代の埼玉県行田市!
    正直言って何も知らず、そんな古い時代に前方後円墳を作る権力、財力のある豪族が埼玉県にもいたのだ、と初めて知りました。
    内部の様子を再建した石室の写真、とても興味深く拝見しました。
    古墳というと、10年ほど前集中的に旅行へでかけたとき、石舞台古墳とか、高松塚古墳とか、そんな何カ所かしか知りませんでしたので。

  2. ふうさい ふうさい より:

    ディックさん、こんばんは。大阪や奈良ならまだしも、埼玉県に!?と思われるのもうなずけます。同県内なので今は知っていますけど、以前は知りませんでした。
    他の方(越後の方)の日記で知りましたが、群馬県にも古墳群があるそうなので、機会があれば・・・ついでがあれば行ってみたいです。

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