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秩父市:二瀬ダム、三十槌の氷柱、和銅遺跡、聖神社

〈場所:埼玉県秩父市三峯 散歩日:2022年2月11日-12日〉
秩父市(ちちぶし)は、埼玉県の西部に位置し、市域のほとんどが秩父多摩甲斐国立公園や県立の自然公園になっている。それらの景観や名所・史跡など観光スポットも多い。
前回の三峯神社の後、二瀬ダムや三十槌の氷柱を、翌日は、あしがくぼの氷柱(隣接する横瀬町)、和銅遺跡、聖神社を見学した。

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冬の「二瀬ダム」

秩父市の市街地から三峯神社へ行くには、国道140号線から左折してダムの天端を通って坂道を上る(県道278号)が、このダムを「二瀬ダム」、ダム湖は「秩父湖」という。
二瀬ダム(ふたせダム)は、1961年(昭和36年)完成。ダムによる人造湖は『秩父湖』。ダムの型式は重力式コンクリートダムとアーチ式コンクリートダムの利点を兼ね備えた「重力式アーチダム」であり、ダムの高さは95m。堤頂長は288.5m。重力式アーチダムを見るのは初めて。調べてみると全国で12基しかない珍しい型式だという。

三峯神社からの戻り、道路脇に車を止めてダムを見る。冬なのでやはり秩父湖の水位は少ない。水面は凍り、前日の雪が白く残っている・・・ように見える。天端からの風景も見たいものだが、道路幅は狭いし天端の道路は一方通行なので無理とあきらめる。

その昔、荒川は名前のとおり荒れる川として幾たびも氾濫を繰り返し、流域に被害を受けていた。昭和25年に荒川の治水を図るべく「荒川総合開発計画」が立てられ、埼玉県及び東京都の水害に備えることとなった、この計画の中心事業が二瀬ダムの建設だったという。(二瀬ダム管理所のWebサイトなど参照)

国道のダム下流側に移動し、堤体の様子を眺める。左右から山が迫り深いV字峡谷であることを実感できる。かつて、降った雨は、急斜面を滑るように荒川に流れ込み、それが集まって濁流となり、一気に下流に流れていったのだろう。

「ダム便覧」のWebサイトによると、このダムの非常用洪水吐(こうずいばき)は、スキージャンプ式減勢工といい、2本とも下部で傾いて右岸側に水が向くようにデザインされている。これは直接落下させるのではなく、一旦空気中に飛ばし落下地点のクッションで勢いを弱めるため。改めて画で確認、な~るほど!である。

氷・雪のおかげで非常用洪水吐は水が流れているような雰囲気がある。
ダムの内側から見ると非常用洪水吐は青緑色の部分である。

三十槌の氷柱(みそつちのつらら)

秩父市の市街地から行くと、二瀬ダムの3~4キロ程手前に“秩父三大氷柱”の一つ「三十槌の氷柱」がある。他所は氷柱を「ひょうちゅう」と呼ぶが、ここだけ「つらら」と呼ぶのは天然の氷柱があるからだろうと思う。
三十槌の氷柱は、一年で最も寒さの厳しい1月中旬(下旬)から2月中旬(下旬)までが例年の営業期間。ライトアップもしている。駐車場代と環境整備協力金がかかる。

川沿いの氷柱は、下流側が天然の氷柱ゾーン、上流側が人工の氷柱ゾーンになっている。
駐車場から川原に下りるにつれて徐々に寒さが増してくる。すると、目の前に石清水が凍り作り上げていく天然の氷柱が現れる。オーッと唸る。

天然の氷柱ゾーンは、幅30m、高さ10m(※ウッドルーフ奥秩父オートキャンプ場の三十槌の氷柱Webサイトを参照)

細長く伸びたツララが合着して大きなツララになっている。
都心からもそう遠くない所でこの光景が見られるのは、凄いと思うし感動する。

少し間をおいて人工の氷柱ゾーンになる。崖に水を流して造られており、幅55m、高さ25m(※同参照)。画では右側に写っている人物でサイズ感が分かるだろうか。

氷柱を目の前にすると圧倒させられる。人工といっても山・崖・樹木・川など自然がベースにあってのこと。それらが相まった風景だ。

天然のゾーンとは異なり、氷のカーテン?氷の壁?のようなところもある。いったい何日かけてここまでになるのだろう。

駐車場まで戻り、川沿いに設けられているウッドデッキに行ってみると、先ほど見ていた氷柱を見おろすことができた。

画は位置的には人工の氷柱ゾーンになる。上から見ると、より地形がわかりやすい。一日中日の当たらない自然環境を上手く活かしたものだと思う。川の手前が遊歩道。

ところで、当日最初に三峯神社へ行く際、三十槌の氷柱がある所を通過した(10:30頃)が、駐車場は満車のようで、道路わきに止めている車もあった。その後、私がここに到着した時(13:30頃)は、駐車場に十分止められるスペースはあったので、最初に(朝早めに)ここを訪れる方が多いのだろう。

あしがくぼの氷柱(ひょうちゅう)

当地は秩父市に隣接する横瀬町にあるが、秩父市のメイン国道140号から車で10分強とほど近く、「道の駅 果樹公園あしがくぼ」の駐車場を利用する。隣接して西武秩父線芦ヶ久保駅があるので、電車利用でも便利。

あしがくぼの氷柱も“秩父三大氷柱”の一つで人口の氷柱だが、土地形状などの違いにより、三十槌の氷柱とは全く全く趣きを異にする氷柱だった。
小川に沿った小さな氷柱を見ながら遊歩道を進むと、その先には、山の斜面に連なるように氷柱が広がっていた。見えているのは一部だが、全体では高さ30m、幅200mに渡るという。(横瀬町観光Webサイトを参照)

名称の看板がある撮影スポットからは、左右の斜面から氷柱が迫ってくるようだ。
ここでは、ボランティアのおじさんに記念撮影をして頂いた。(サービスの一つで好意でやっているものと思うので、いつも撮って頂けるのかどうかは不明)

近くで見ると、圧倒させられる景観だ。一昨日降った雪が一つ一つの氷柱の上部に残り、雪のトッピング?氷柱のお化粧?のようでアクセントになっている。

遊歩道の坂を上がっていくと「おもてなし広場」に至る。ここでは、無料サービスで紅茶か甘酒をいただける。斜面の氷柱を見下ろしながら一息つく。

広場の沢に向かって左側に、下に降りる遊歩道があった。より間近で正面の氷柱を見られるようになっている。散水する数や方向、水量によって様々な氷柱が作られている。

たまたま訪れる数日前に、あしがくぼの氷柱を紹介しているTV番組を見た。沢の上流から水をひき山林の斜面に散水して作り上げるのだが、それだけだと平面的になってしまうので一部では櫓を組んで骨組みにしているそうだ。
町民ボランティアのご苦労の甲斐もあって、冬季誰も訪れない所に、期間中12万人の観光客が訪れるようになった(2019年)という。
素晴らしい。

和銅遺跡、聖神社

和銅遺跡・聖神社は、秩父市の北東側で花園ICに近い方に所在する。日本最初の貨幣「和同開珎」の発祥が秩父市で、その遺跡があることも知り立ち寄ることにした。

西暦708年、この地で採掘された自然銅(和銅)が朝廷に献上された(和銅奉献)。自然銅の発見は、当時の日本にとっては、とても大きな喜びであったことは、元号が「慶雲」から「和銅」に変わったことからも窺い知ることができる。日本最古の流通貨幣と言われている「和同開珎」は、この自然銅をもとにして作られた。
この地には和銅献上に関係が深いと伝えられる聖神社があり、大小2個の和銅石・和同開珎銭・和銅製の雌雄一対の蜈蚣がご神宝として収められている。また、付近には当時を偲ばせる地名や言い伝えも多く残されている。(出典:秩父市「秩父観光なび」参照)

和銅遺跡

国道から山中の和銅遺跡駐車場まで1kmもないが、一部道幅がとても狭いので要注意。
駐車場から道路を下り、沢沿いに降りると雪が凍っていて注意しながら坂道を進む。短い難所を抜けると横移動で雪も少ない。駐車場から5分ほどで和銅露天掘り跡に着く。
案内板には「ここから急斜面を登っていくと、往時の面影を残す露天掘り跡を間近に見ることができる」と書かれているが、雪のため登れることはできず、近くの沢沿いにも「露天掘り跡」の名板があったものの、雪のせいもあってよく分からなかった。少し残念。

大きなモニュメントが建てられていた。巨大な「和同開珎」に「日本通貨発祥の地」と明記されている。サイズ感の比較のため人物を入れて記録する。

なお、自然銅と元号は「和銅」で、通貨は「和同」。ともに「わどう」だが漢字が異なる。通貨の「和同」は、天地和同・万物和同などの古語にもとづく「やわらぎ、なごやかに集う」という意味合いで、「和銅」とは直接的に結びつく言葉ではないとされている。

聖神社(ひじりじんじゃ)

慶雲五年(708年)、和同献上の際、元明天皇から遣わされた勅使によって近くの金山彦命(かなやまひこのみこと。鉱山の神様)が祀られ、その後、和銅元年に現在の地に遷座し、聖神社が創建されたと伝えられている。

現地案内板によると、社殿は江戸時代中期の建築で、流れ造りの本殿と入母屋造りの拝殿からなる。市指定文化財。モニュメントは、銅を模した質感を表しているように見える。

絵馬には、和同開珎の形をしたものもある。狛犬は、姿勢良く威厳を感じさせる。

和銅開珎にゆかりのある神社ということから金運の神様・銭神様と呼ばれ、金運アップの祈願に訪れる方が多いという。もちろん、私も祈願した。成就するのはこれからだろう?

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埼玉県秩父市
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風彩散歩 日記

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